第16話❗️続編、我が子に限って😭
息子の話しになりますが、
小学生では空手、ダンス、ドッチボール、塾と
沢山の習い事をし、
小さい時から元気な元気な男の子でした😅
勉強はできませんが、
大きくなったら自動車の整備士になる‼️
と言っていました。
中学生では野球部⚾️に入り、
3年間頑張りました。
ところが、中3の夏休みにヤンキーに憧れ、
勉強が嫌いな息子は
ま、さ、か、、、の
『高校に行かない❗️』
と言い出したのです、、、
私の人生で中卒なんて考えた事もなく、
私立の専願を受験させましたが、
回答を一問もせず、不合格!!
それから息子は働く❗️と言いだし、
私は叫びながらリビングで泣きました。
息子はそんな私の姿を見ても、
気持ちは変わりません。
担任の先生、学年の先生、最後には
校長先生にまで説得してもらいましたが、
ダメでした、、
遂に卒業式、、
就職先は足場の仕事、、、
誰もがすぐ辞める、、と思っていました。
息子だけは、『俺は絶対頑張る💪』
と言ってましたが、毎日が不安で不安で
たまりませんでした。
現在、20歳、、
未だに同じ職場で仕事を辞めずに
社会人5年目を迎えました。
今思えば、これで良かったんだ!
と思える様になりましたが、
まさか我が子が、、でした。
最近は、車にバイクに彼女に、、、と
週に1回しかない休みでも
楽しんで毎日を過ごしています。
人生色々、、、現在も息子からは
沢山の事を学んでいます、、、
第15話❗️完結❣️
長女を出産した時、母の死を体験し、あんなに簡単に心臓が
止まり人は亡くなっていく、、、
その命を私の身体が作りだし、
命を産み出す。
すごい体験を私はしているな、、と思いました。
母が亡くなった時、あんなに
欲しかった命を
私が産み出した、、。
言葉では伝えにくいけど、
出産直後は、母と娘が繋がった
瞬間でした。
お母さん見てくれてる?
娘と息子、、。
大きくなったでしょう。
母が亡くなって23年!
お母さんの事忘れた事は1日も
ないよ。
星を探しては、子供達と
「あれはおばあちゃんの
星だよ⭐️」
「あれは大きいじいちゃんの
星だよ⭐️」とみつけているよ。
私が出産時に母からしてもらえなかった、孫守り、里り、、、。
私は我が子が出産した時は、
いっぱい甘えて欲しい、、
これだけは、私が絶対思ってる事!!
実母がいないって、子供が出来た時甘えられないし、
すごく辛かった、、
我が子に絶対にそんな思いだけはさせたくない、、
遊びに行った時は、
親の事なんて考えずに、
楽しく遊んでほしい。
帰ってくる所は、いつでもあるからね、、
でもこんな事を思ってる私も
結婚して何度も死のうと思った事はある。
今は仕事も楽しく、
貯金は0!!
お金はこれから貯めていかないといけないけど、
毎日が充実しています。
主人もタバコも辞め、仕事はやはり精神的な問題で出来ませんが、
子供2人は就職して
落ち着いた生活を送っています。
それから、私は未だにお酒が飲めません。
お酒の匂いがすると、あの頃の記憶が蘇り
体調が悪くなります。
そして、母が亡くなったのは私のせいだ!
と自分を追いつめてしまいます。
主人と2人で100歳まで
仲良く人生過ごしていけたらいいな〜と今は思えます。
私のドキュメンタリー人生日記を読んでいただき、
ありがとございました。
まだまだこれから色々あると
思いますが、前向きに
楽しんで100歳までがんばります❣️
そして、続編を投稿させていただきます。
完結、、
第14話❗️父の心配、、
現在は、娘にも彼氏、
息子にも彼女がいて、
最近は孫に早く合いたな〜と思います。
今まで離婚しなかったのも
どこかで母の
「彼と仲良くしてネ」と言われていたおかげだと
思っています。
母の病気、母の死、おじいちゃんの死、主人の病気、自己破産、私のうつ病、、、
かろうじて、私は薬に頼りながら、楽しいスタッフと一緒に現在は仕事をしています。
実父も現在76才!!
大きな病気もせず、実家で
妹と孫2人と室内犬2匹と
暮らしています。
妹は、15年前に離婚し7年前から実家に帰って
来ています。
妹達がいてくれてるおかげで
父も寂しくないみたいで、
姪っ子とよく買い物や食事に行っています。
タバコもお酒も大好きな父、、
孫に囲まれ、毎日畑仕事しながら楽しそうです。
妹には、お世話かけてるので本当に感謝の気持ちしかありませんが、、、
私が父の事を心配せず、安心して生活できてるのも妹のおかげ、、、
本当にありびとう❤️❤️
父も母の分も長生きして、
楽しい人生を送ってほしいです。
次回へ続く、、、
第13話❗️自己破産、、
主人は、夕食は作ってくれますが、お肉を焼く、チャーハン、
焼きそば、簡単なものしか作れません。
他の家事は体調が悪く、
出来ません。
私は仕事から帰ってきて、
次の日のお弁当の準備、
洗い物、洗濯、主人の足踏み、、、
最近は仕事も忙しくなり20時頃にしか帰ってこれない為、
身体はへとへと、、、イライラしてしまう事があります、
お金の話しになりますが、
やはり2人の子育ての中で
お金がなく…クレジットカードの使い過ぎで、
3年前位に自己破産申告を
しました。
手続きは全て私。
タバコ代や、買い物代、すべて私…。
この自己破産の件は、私と主人しか知りません。
クレジットカードは全て私名義だった為、
私はこれにより、うつ病になり、
今現在でも薬は飲んでいます。
今でも支払いを少しづつし、
クレジットカードは全く
作れない状態です。
よく離婚せず、ここまで来たなーと思います。
主人はも最近はすこし歩くだけで「ゼーゼー」と息切れ、、😮💨
糖尿病、高血圧もあり、
精神科にも通院し、訪問看護師さんも週2回くらいは
来てくれています。
それから、我が家には3匹の
保護猫もいて、借家暮らしをしています。
それから、母が保健所に連れて行ってた2匹の犬は
事情を話し、
妹が引き取って育ててくれて
いました。
次回へ続く、、、
第12話❗️おじいちゃんの死、、、
父は母が亡くなってから、実家へ帰り、1人暮らししていたおじいちゃんと2人暮らしをし始めました。
おじいちゃんは、私が子供を産んだ頃から
肺と前立腺が悪くなり、酸素ボンベを
ゴロゴロ押しながら、
よく私と2人の子供を連れて
病院・買い物などに連れて行っていました。
たまには、うなぎも食べに行き、子供達も、
「大きいじいちゃん~」
とすごく懐いていて、大好きでした。
上の子が4年生の時
前立腺ガンと肺炎の為、
90歳で亡くなってしまいました。
最後の方は、食事も出来ず、よく
「バナナ🍌を食べたい、、」
と何度も言ってたのを覚えています。
おじいちゃんが亡くなった時は、
すごく泣きました。
子供達もすごく泣いていました。
現在はというと、長女は看護師、長男は現場の仕事をしています。
主人は、薬の副作用で足のもぞもぞとたたかっています。
主人も「死にたい!』と時々言うし、
体重は、120kg❗️
昨年夏にはコロナになり、呼吸困難になりコロナ病棟へ入院しました。
1日5箱吸っていたタバコもやめました。
精神病の人はタバコを吸う人の割合が多い中、
タバコが吸えないストレス!!
今でも毎日の様に
『タバコ吸いたい』と言っています。
吸いたくてイライラ→薬飲む→足がモゾモゾ→私が足踏みする
が毎日続いていました。
仕事から疲れて帰って来てからの足踏みは
本当にしんどくて仕方がありません。
次回へ続く、、、
第11話❗️出産、、、
母の温かい手を握りしめながら、
8年間、アルコール依存症で苦しんでいた姿をずっと見ていた私は、
「やっと楽になれたね、お母さん」
とも自然と言葉が出てきました。
私にとっても辛かった8年間、、、
8年間、母は病気と戦ってきました。
一番辛かったのは母、、
そう思いなから、仕事・遊びに
行ってもずっと心配で家に帰るのが怖い!と思った日が何日
あったかわかりません、
『病気を治してあげれなくてごめんね』
いまでもそう思っています。
それから、私は2021年12月
女の子を出産しました。
母が居ない為、里帰りもせず、
寂しい思いもしました。
母がいたら、すごく喜んでくれただろうな、、と思いました。
2004年2月に男の子を出産し、
私も2人の母になりました。
主人は、長女を出産した頃、
精神状態が悪くなり、仕事を辞め
精神障害二級の診断を受けました。
障害年金も受給しています。
私は、子供達を保育園にあずけ
正社員として、
現在も働いています。
子育ては、主人の父母にも協力してもらいなが頑張りました。
次回へ続く、、、
第10話❗️母の死・・・
それが私と母が、最後にかわした会話です。
23年経とうしている今でも忘れられません。
私が電話で話した日、
妹にも電話してたみたいで、たわいもない話しをしたそうです。
母が言っていた、
次の日に、病院、おじさんの家へ行くというのも全部嘘でした。
後でわかりましたが、
その日母は当時2匹飼っていた犬を保健所へ連れて行っていました。
母は死ぬ準備をしていたのです。
農薬を買い、自分の遺影に使う写真、父への手紙をテーブルに置き、
となりの空家で農薬を飲んで
いました。
私が知ったのは次の日の夕方、
出張が帰って来た父から電話があり、
私は嫌な予感‼️
「お母さんが、また倒れた!農薬飲んでる!」
私「生きてると⁉️」
父「わからん❗️」
すぐに病院に行きました。
病院へ着くと、ICU、、、。
呼吸はしてる。
意識はない。
神様!お願いします。あの時みたいに生き返って、、
と、心の中で何回も祈っていました。
次の日の夕方、病状が急変‼️
小窓からみたら、先生達が
心臓マッサージをしていました!
『え!』
死んじゃう、、、涙が止まりません‼️
先生達は一生懸命してくれました。
私達が見守る中、苦しそうに
心臓マッサージを
受けている母、、、
どのくらい時間が過ぎたのか、、
先生が『まだ続けますか?』と
父に聞いてきました。
父は涙を流しながら、
「これ以上はもういいです。
ありがとうございました。」
母の身体に付いていた沢山の装置を外され、
その時気づいたのです。
母は涙をこぼしていました。
母に触れるとまだ暖かく、死んでる事が信じられません。
『お母さん、ごめんね』
母の温かい手を強く握りしめ
子供の様に泣きました。
温かいのになんで死んでるの??
人って儚すぎる、、
どうして?どうして?、、、
今でもその光景は忘れていません。
次回へ続く、、、