波瀾万丈・前代未聞の人生ドキュメント日記❣️

精神疾患ほっこり家族❤️ドキュメント人生日記❗️

第9話❗️電話がきっかけに、、、

1カ月こんな生活が続いた頃、
私が仕事から帰る前に主人から家に電話があり、母が出てました。
その後電話があった事を母から聞き、主人に連絡をすると、
「なんでお前いないのにお母さんおると?

そういうのやめて!!」と言われ、
私は母に、
『私が帰ってからアパート入って、、、』
と伝えました。
母の顔色が変わるのがすぐにわかりました。
「カギ返すね。迷惑かけて、本当にごめんね」
私は、『鍵はもってて、何あるかわからんし』
と伝え、その日は気まづいまま
母と別れました😰

どうにか、そのまま鍵は持って帰ってくれましたが、、、

 

後々わりましたが、アパートの鍵は

家の近くの川に捨てていました。
私は嫌な予感がしたので
次の日、母に電話しました。
変わらない母の声で
「明日は病院とおじさんの家に行くから1日居ないから、、来てもいないから、、」
私は、「きのうはごめんね。また絶対!

遊びに来てね」
少しの間があり、母が
『うん』
嫌な予感がした私は、
「お母さん、絶対!!死んだりせんでね。

私はお母さん死んだら、私も死ぬけん!」
母『、、、、、』
私『ねえ?」
母「死んだりせんよ。でも彼と仲良しせないかんよ』
私『うん、わかってるよ。
でも、アパートには絶対遊びに来てよ』
母は明るい声で「うん、来るよ」
私はその時の母の明るい声を聞いてすごくホッとしたのを覚えています。

そして、今でもその声は忘れいません。

 

次回に続く、、、

 

23年前の出来事ですが、

すごく書いてて辛くて辛くて仕方がありません。
でも頑張って最後まで書いていきます。

よろしくお願い申し上げます。

 

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第8話❗️新婚生活と母、、、

f:id:kazu358kazu358:20230505153134j:imageお互いが29歳の時、主人は病院に通院しながらも仕事が1年続きました。
私と付き合いだして、1年も仕事が続いた事はなく、
もう大丈夫‼️😊

彼に私からから「結婚しようよーー』と言って、
早速、私の父に報告!言われたのはやはり

仕事の事、、
『ガソリンスタンドで仕事してる」父は納得してくれました。
母はその時、相変わらずの入院生活、、
父から『結婚式だけは絶対せないかん…』
と言れれ..
2000年9月母も出席してくれ、
無事結婚式を挙げ、
グアムに新婚旅行へも行きました。
結婚式に出席してくれた母は、涙もながしてくれ
体調もよさそうでした。

結婚後、私は近くの歯科で正社員で働いていて、仕事が終わったら、合鍵を渡していた母が
アパートで待ってくれて
いました。
私のアパートから20分もかかるのに、父が出張の時は必ず来てくれ、食事を作ってくれていたこともありました。
ただ、ボーっとしてる母が時々
『あの時死んでおけばばよかった』
『死にたい』
など度々言っていました。
私はまたいつお酒に手を出すか
それだけが心配でした。
でもたまに、
『わたしの所に来るのが今の楽しみよ😊』
とも言ってくれてた時もありました。
1ヶ月、こんな生活が続いた頃、、今でも思い出したくもない出来事が、、、

第8話に続く、、、

第7話❗️主人の病名、、、

少し主人の事について書きます。
主人は高校卒業後、大きな会社に就職。
でも半年で退社。親からは
すごく怒られたそうです。
我が家と違い、そういう所はスパルタ!!
次に行った所で体調の変化が、、😰
マンンホールを作る仕事で、
すごく忙しく、
仕事に対して真面目な主人は、言われた通りに

仕事もこなし、
ついには限界が、、
20才の時、叫んだ次の瞬間記憶をなくし.病院へ、、
病院名は統合失調症‼️
イライラ、鬱、自殺願望、、、
今でも主人の左手首にはカミソリで切った時の

キズがあります。
精神科へ3ヶ月の入院、、入院中は、お母さんが付きっきりで泊まってたそうです。
退院後は仕事が続かず、
私とつきあう様になってからも

6年間で何回転職したか⁉️
薬は常に飲んでないと体調悪くなるし、、😭
母の事も話していた主人は、
自分の体調の事もあるので、すごく理解してくれていました。
ただ、母は仕事してない彼を
『なんで?仕事せんとやか?
結婚もできんし、、』と
いつも私に言ってました。
私自身もこのままでは、結婚できないのかなーと思いながら、
6年が経ち、29歳‼️

第7話に続く、、

 

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第6話❗️付き合う?💕

今の主人とのその後ですが、
私が引っ越す前は、

主人から時々連絡は来てたんですが、

私は引っ越す事は言わず
引っ越しました。
これで連絡も来ないし、忘れられる‼️

と思っていました。
ところが、ある日突然の電話❗️
なぜ?
あの頃は連絡手段と言えば、
家の電話のみ、、
聞いてみると、実家にいつも通り電話したら、

じいちゃんがでて連絡先を教えてくれたらしい、、、
やっと忘れられると思ってたのに、、、😢

 

それから数ヶ月後、中学校の同窓会があり、来ないだろうなーと思ってたらいた!!
女子3人、男子4人で遊んでた
カラオケにも突然来る‼️
あー忘れられないない😢
、、と思ってたのは私だけでした。
ある日、電話で
「彼女ができたよ」と友達のように言ってくる彼。
私もその頃は、職場の先輩と遊ぶのも楽しく、
合コンに行ったり、
人生初のお見合いもしてみたり、
今思えば、気をまぎられしていたのだと思います。
時々、彼から連絡はあってたんですが、

1年が経った23才の頃.「カラオケいかん?」と言われ
ま、いっか!と思って行く事にしました。
その頃、彼には彼女の他に3人程の女友達がいました。
なんでこんな人が、気になるんだろう⁇と

自分に問いかけなから..カラオケに行ったのを

覚えています。
カラオケの帰り、急に車を止め、

抱きしめられました。
「どした?」
「このままにさせて、、俺、彼女と別れる」
「別れるわけないやん」
「いや、別れる」
「別れるけん、別れたら連絡する」
その日はそのままバイバイ‼️

次の日「やっぱり別れられんやった…」
「だよね.」
、、考えこんでる彼は
「やっぱり別れる!」
次に連絡きた時は
「彼女とも別れた。すべての女友達とも遊ばない!俺と付き合って下さい」
私は、「本当にすべてが本当でないと

付き合いたくない」
その当時は携帯もなく、電話帳、、
その電話帳を2人で燃やしました。
全てを捨てて、私の所にきてくれた、、でも、、、

第6話へ続く、、

 

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第5話❗️引っ越しは悪夢の始まり、、

引っ越しをすれば、症状が回復していくとばかり思ってた私の気持ちはすぐに裏切られました😭
またお酒!そして寝る、失禁もしたりお風呂も入らず、食事も食べず2〜3週間過ごしたり、
何回救急車を呼んだかわかりません。
私は何度お酒を捨て、

母に暴言を吐いたかわかりません。
父は相変わらず泊まりが多く、
2人の時間も多く、
何度、母を殺して自分も死のう、、と思ったかわかりません。

母の病院探しをし、やっとやっとアルコール依存症の治療をしてくれる精神科へたどりつきました。
入退院を繰り返し、
退院直後はよいのですが、またお酒、、
でも、そんな母も突然以前の母に戻り

お酒も飲まず、
体調も良くなり、食事作ったり
庭で野菜作りしたり私にとっては夢の様な日々を送れた事もありました。

後になりアルコール依存症の症状を調べると、
飲む→飲まない→飲む
を繰り返すのが特徴だそうです。
そして、お酒をとりあげて
はダメ!と書いてありました。
でも私はお酒を見つけると全て捨てて、

またスーパーに買いに行ってお酒を隠す母、、。
この繰り返しを何度したかわかりません
病院も3カ月は入院できるが、その後はデイケア
私も父も仕事していたので.
付きっきりで母を見るのは無理でした。
母はデイケアも殆ど行かず、3ヶ月を待つしかありませんでした。

そんな時、今の主人から連絡が、、、


次回に続く、、、

 

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第4話❗️遂に救急車が我が家へ、、

それから、母の病状は良くならず、
ある日仕事から帰ると、母が居ない‼️

家中探してもどこにもいない、、、
おじいちゃんに聞いたら、
「犬の散歩じゃないと?」と
それだけ、、
(その頃、室内犬2匹飼っていたですが、)
こんな時間に散歩行くはずがない、、と思った私は
倉庫を探しに行きました。
探していたら、母が倒れていました。

またかと思ったけど、、
次の瞬間、農薬を飲んでる事に気が付きました❗️
犬は母の近くをウロウロと、、

すぐにじいちゃんに言うと、慌てて来て、

すぐに救急車を呼び、近所の人が沢山集まり、あの頃の自殺なんて、田舎では聞いた事がない‼️
まさか自分の母が、、頭の中は真っ白でした。
救急隊員に水を飲まされては吐いての繰り返し、
母は救急車に乗り大きな病院へ搬送されました。
ICUに入り先生方の懸命な治療のおかげで、

どうにか命を取り留め退院しました。
まさか、退院後がこんなに大変になるとは

思っていませんでした。

私も今でも思い出したくない様な

生活が始まったのです。
母は、お酒を今まで飲んでいた様で、良く寝ていたのもお酒を飲んで記憶を無くしていたみたいです。
退院後もまたお酒に手をだし食事、洗濯、、、
家事を全くしなくなり
父は、とうとう、、

おじいちゃんとの別居にふみきりました。
親戚中が集まり(我が家は本家の本家)
じいちゃん1人になるけど、
母を守る為の父の決断‼️
それから、私、父、母は20分ほど離れた街に引っ越しをしました。

 

第5話に続く、、


今、自分の人生を振り返りながら書いています。

すごくしんどいです。あの頃の気持ちを思いだして涙が止まりません。

でも私が歩んで来た人生を記録に残しておきたいので、頑張って書いていきます🥺

 

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第3話❗️波瀾万丈、、、‼️

そんな母を度々見るようになり、
私も心配になり、
母も近所の病院へ行きますが、結果異常なし!
父もそうとう心配していました。
ただ、観光バスの運転手の仕事をしていた父は

泊まりが多く、
私はすごく不安な毎日を送っていました。
おじいたゃんが毎晩晩酌をしていたので、常にお酒は家にありました。
どうしてお酒に手をだしたのかは今となってはわかりません。
友達と遊びに行っても、今日は大丈夫かな?
と思い、気になるばかりで、
楽しく遊べず家に帰って来てたのを今でも

覚えています。

20歳の頃の私の話になりますが、
その頃今の主人と出会い、、、
と言うか、主人とは同級生(話をした事は1度も

ありませんが、、)、、、
当時、主人と仲良かった友達から、
『遊んでみない?』と言われて、
主人からの突然の電話‼️
ドライブに行く事になりました。
主人は、女友達が多く
その当時は絶対にこの人と結婚など全く

考えていませんでした。
何度が遊んでるうちにあれ❓好き❓❣️

となり、付き合う様になりました。
でも、2ヶ月後、、

主人から突然の電話‼️

「やっぱり好きな人が忘れられない、、、
別れよ」と言われました。
お風名の中で、「うん、わかった」と強がって

素直に電話を切って
涙が止まらずすごく泣いたのを覚えてます。

 

次回に続く、、、

 

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